東京オリンピックが終わり、今度は東京パラリンピックが開幕した。昨日の20時にNHKが開幕式を放映していたのだが、それを観ていたらてっぺん(午前0時)を回っていた。まあ、ダイジョブだろうと思いそのまま眠りについたのだが、起きたら7時前、、やばいと思いながらしっかりと朝食のアーモンドとプロテインは摂取し、ぎりぎり間に合った。パラリンピックの開幕式はオリンピックと同様に感動するものがあった。
そもそも、パラリンピックとは何か知らない人の為に、ウェキペディアから引用したものだが、
【20世紀初頭から、散発的な障がい者スポーツの大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものである。
ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、この日、車椅子使用入院患者男子14人、女子2人によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された[注 1]。
1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。】
と記載されている。
ここで感じたのは、パラリンピックは障害を負った人たちに生きる希望や、夢を与えるためにできたものだと知った。病気や障害のために生きる希望を失った人たちはたくさんいるだろう。俺も実際、白血病という病気で入院治療をしていた時は本当に苦しかったし、俺は死んだろうかと追い詰められた時が何度もあった。しかし、家族や友人、恋人が俺に生きる意欲を持たせてくれた。治ったらまた楽しく過ごすことを希望にし、俺は何とか辛い闘病生活を戦えることが出来たんだと思う。障害を負ったとは言わないが、生きる希望を失った人たちにとっては目標を持つことはどんな治療を受けるよりとても重要なことだと考えた。
東京パラリンピックには同じ沖縄県民も二人出場している。
陸上では上与那原寛和(うえよなばる ひろかず)選手が出場。同じ沖縄市出身ということで最も期待したい選手だ。
ちなみに、出場日程としては 8月27日9:30~ 男子400m、19:00~ 勝てば男子400m決勝へ。
8月28日 19:00~男子1500m予選 勝てば翌日の29日19:00~ 決勝へ。
喜納翼選手はうるま市出身。車椅子女子マラソンで出場。日程は9月5日 6:25分~
絶対観て応援する。頑張ってほしい。